東京オリンピック・バドミントン
日本代表の広田彩花選手!
右膝靭帯を痛めながらも
頑張った試合でしたね!
広田彩花選手の父親と母親は
バドミントンの経験者で、
現在も指導者として活躍されております!
また
広田彩花選手の2人のお兄さんも
バドミントンを幼い頃から
やっていたことが判明しました!
現在は何をされているのでしょうか?
というわけで今回は、
広田彩花選手の家族について
紹介していきます!
記事内容はこちら!!!
- 広田彩花の家族構成!
- 広田彩花の父親と
母親はバドのコーチ! - 広田彩花の兄弟も
バドミントンの選手だった!
それでは詳しく見ていきましょう!!!
広田彩花の家族構成!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/テレビ朝日 廣田-e1671579531945.jpeg)
それでは最初に広田彩花選手の
家族構成について紹介していきます!
広田彩花選手の家族構成ですが
- 父親 広田卓也
- 母親 広田総子
- 長男 不明
- 次男 広田拳士
- 長女 広田彩花
父親と母親、そして3人兄弟の
5人家族となっています。
そして
全員バドミントン経験者の
バドミントン一家です!
やはり世界で活躍する選手の親は、
同じスポーツを経験している
パターンが多いですね!
広田彩花の父親と母親はバドのコーチ!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/読売新聞 廣田-e1671579629827.webp)
それでは、広田彩花選手の
両親について紹介していきます!
父親と母親はそれぞれ
どのような人物なのでしょうか?
広田彩花の父親は?
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/2FDB9E88-C2B6-406B-94F1-EC6CF8284151-1024x660.jpeg)
こちらが広田彩花選手の
父親・広田卓也さんです。
年齢ですが2022年現在、
57歳前後だと考えられます。
(2019年5月のインタビューの時54歳でした。
参照:西日本スポーツ)
広田彩花選手の父親は、
地元の菊水中学校に通っており、
そこでバドミントン部に所属しておりました。
父親の卓也さんは、社会人になってからも
「菊水クラブ」というチームを立ち上げて、
バドミントンを趣味として楽しんでおりました。
父親・広田卓也のエピソード!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/デイリー 廣田-e1671580711582.jpeg)
父親・広田卓也さんは、
息子2人がバドミントンの試合に
出場できるように
「菊水ジュニア」という小学生以上を
対象としたバドミントンクラブを
立ち上げました。
地元・和水町には、
小学生男子が所属できるような
チームがなかったため
チームを自ら創り上げました。
息子2人のために立ち上げたクラブでしたが、
当時5歳だった広田彩花選手も
菊水クラブに参加し
バドミントンを始めています。
広田彩花選手は
息子2人の練習に連れていかない、
という選択肢もあったようですが、
放置するわけにも
いかなかったということもありますが、
何より手がかからなかったという事が
連れて行けた要因だったようですね!
男性のクラブだったという事と
彩花選手が短かったという事もあり
男と間違えられた事もあったそうです!
広田彩花の母親は?
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/E0AA5051-8569-41C4-ADCF-731B6D061980-1024x683.jpeg)
広田彩花選手の母親は、
広田総子(ふさこ)さんと言います。
総子さんも現在、
57歳前後だと考えられます。
父親の卓也さんとは
菊水中バドミントン部のチームメイトです。
母親の総子さんも父親と一緒に
菊水ジュニアで小学生相手に
バドミントンを教えています。
息子2人のために立ち上げたクラブは
週4回、地元の町民体育館で練習。子どもも50人ぐらいに増えた。基本的には楽しくやるのがモットーだけど、他のチームの練習を見たり、話を聞いたりしてどうやったら強くなるか試行錯誤した。
出典元:西日本スポーツ
50人の練習生が参加するほど
大きくなっていったと答えておりました。
広田彩花と母親のエピソード!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/3AFBB5AA-1760-4B82-9420-D8D5C727926E-1024x705.jpeg)
広田彩花選手の「彩花」という名前は、
陣痛がきた時に花火が上がったことが
由来となっています。
花火が上がり始めたころに陣痛がきて、夜10時ごろに生まれた。だから花火をイメージして、彩りの花、彩花(さやか)と名付けた
出典元:西日本スポーツ
陣痛が来たときに
花火が上がったというの
はすごい偶然ですよね!
また
家ではおとなしい子供であったため、
小学校1年生のときに出場した大会で、
小学校4年生に負けて泣いている姿を見て、
非常に驚いたようです。
性格はおとなしかったようですが、
実は
非常に負けず嫌いな性格だったんですね!
広田彩花の兄弟もバドミントンの選手だった!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/819A11A3-17D0-4EF6-AEDF-1F22FF4F0D64-1024x642.jpeg)
広田彩花選手の2人のお兄さんも
バドミントンをやっておりました。
長男は現在、
何をしているかは不明ですが、
次男・広田拳士さん(30)は、
- 和水町後援会 事務局員
- クラブなごみ(バドミントンクラブ)
指導者
次男の広田拳士さんは、
和水町の役場などで働いているのでしょうか?
広田彩花選手の相棒である、
福島由紀選手との名コンビ「フクヒロ」の
Tシャツを作成して、
広田彩花選手を支援している
お兄さんでした!
また
広田彩花選手が高校を卒業するまでは、
2人の兄が練習に付き合っていたようです!
女子校だった広田彩花選手にとっては、
男子のスマッシュを受けれたのは
良い練習になったと答えていました。
広田彩花と次男のエピソード!
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/Twitter-廣田-e1671581586211.jpeg)
高校を卒業して、
大学に進学するか実業団に入るか
迷っている広田彩花選手に対して、
次男の拳士さんは
「実業団にいった方が良い」と
アドバイスをしています。
次男・拳士さんは、
鹿児島大学教育学部体育科が
勉強していたため、
女子のピークはすぐやってくる。本気でバドミントンを続けるならすぐ実業団に行った方がいい
出典元:西日本スポーツ
スポーツを勉強している立場から
助言をしていました!
まとめ
![](http://mathscidk.com/wp-content/uploads/2022/12/Twitter-廣田2-768x1024.jpeg)
いかがだったでしょうか?
父・卓也さんが立ち上げた
男性のバドミントンクラブが
きっかけでバドミントンとの出会いでしたね!
母は勿論のこと、兄弟の協力もあって
今の彩花選手があると言っても
過言ではないです!
父の菊水クラブに連れているか
連れて行かないかと迷っていたようでしたが
結果的に連れて行くことになったのですが、
もし連れていかなかったら
東京オリンピックには彩花選手は
そこにはいなかったと思うと
すごく不思議な気持ちになりました!
必然の起こりに感謝ですね!
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