北京五輪スノーボードハーフパイプ代表で
銅メダルを獲得した冨田せな選手。
そんな富田瀬名選手の両親は
どのような人物か気になります。
実は
父も母もスノーボードが大好きすぎて、
都会から雪国へ引っ越してきた過去も。
そんな
両親は子供たちが一流の選手になるまでの
サポートもものすごいものでした!
というわけで今回は、
冨田せな選手の顔について
特集していきます。
記事内容はこちら。
- 冨田せなの家族構成!
- 冨田せなの両親の職業は?
- 冨田せなの両親のサポート凄すぎる!
それではみてきましょう!!!
冨田せなの家族構成!
それではまず冨田せな選手の
家族構成から見ていきましょう。
冨田せな選手の家族構成ですが
- 父親:冨田達也
- 母親:冨田美里
- 姉:冨田せな
- 妹:冨田るき
- 弟
父親と母親、そして同じく
プロスノーボーダーの妹・るきさんと、
年の離れた弟がいると思われます。
2017年にせな選手が
平昌五輪代表に内定した際、
地元の新潟県妙高市役所を
訪問しているのですが、
その際の集合写真に弟らしき人物が
写っているんです。
この矢印の少年になりますが、
知らない子が写真に入るわけないですし、
顔が父親の達也さんそっくりですので、
間違いなく弟でしょうね。
意外と知られていないですが
実は
3兄弟だったんです。
冨田せなの両親の職業は?
気になる冨田せなのご両親の職業ですが、
普通の会社員の可能性が非常に高いです。
また
父親だけが働いているのではなく、
母親も普通に働いている共働きの家庭でした。
共働きの両親は昼食を持たせ、朝にゲレンデまで姉妹を送り届け、仕事を終えると迎えにきた。
出典元:Standerd新潟
両方とも働きながら
娘たちの競技のサポートをしていたんですね〜。
職業自体は不明なのですが、
父親と母親がどのような人物なのかを
紹介していきましょう!
父親は現役スノーボーダー!
父親の達也さんも娘たちを同じく
スノーボーダーです。
現在は
新潟県妙高市に在住していますが
生まれは愛知県岡崎市で、
実は
東海オンエアのメンバーのが通っていた
岡崎城西高校に通っていたんです。
そんな父親の達也さんが
スノーボード競技をしていた影響で、
せな選手もるき選手も
ボードを幼い頃から始めています。
父の影響で3歳からスノーボードをはじめ、保育園年中のとき、はじめてハーフパイプの大会に出場し、競技の道を歩み始める。
出典元:PRTimes
やっぱり世界で活躍している
アスリートの経歴を見てみると、
プロスノーボーダーとして活躍する選手の
両親は同じ競技または
他のウィンタースポーツをやっていた
確率が非常に高いんです。
北京五輪のモーグル競技で
5位の川村あんり選手の両親も、
かつてはアイスホッケーの選手として
活躍されていました。
話は戻りますが、
冨田せな選手の父親は現在も
スノーボードを楽しんでいます。
母親もボーダーだった!
冨田せな選手の母親は
美里さんというのですが、
美里さんも現在の職業は不明です。
実は
母親の美里さんも若い頃は
スノーボードをやっており、
なんと母親も愛知県出身なのですが、
スノーボードのために
新潟県の会社に就職しているんです。
二人の両親は共に愛知県の出身で、スノーボードに魅了されて新潟の地に就を求めた。今も仕事をしながら、休日になると滑っている。
出典元:Standerd新潟
これは両親とも相当スノーボードが
上手い人だと思います。
スノーボードのために地元を離れて
新潟県に就職するってのは
かなり異常ですからね。
そんな母親・美里さんももちろん
現役でスノーボード競技を楽しんでいます。
冨田せなの両親のサポート凄すぎる!
そんなスノーボード大好き両親ですが、
子供たちの競技へのサポートには
素晴らしいものがありました。
この両親のサポートがあったからこそ、
今せな選手とるき選手は
世界で通用する選手になれたのだと思います。
それでは冨田せな選手の両親の
熱いサポートエピソードを
紹介していきましょう!
①子供もために寝ないで仕事へ行っていた!
エピソードの1つ目は、
子供の送り迎えのために寝ないで
仕事に行っていたことです。
2021年に新潟のローカルニュースで
冨田選手のことが特集されたのですが、
その際に
と感謝しながら語っていたんです。
いくら我が子だからと言って
ここまで出来きる母親は少ないと思います。
スキー場は家から距離が
離れていたりする場合が
ほとんどですので、
毎日遠い距離を運転していたのでしょう。
②習い事もたくさんさせていた!
冨田せな選手は3歳から
スノーボードをやっているわけですが、
実は
それ以外のスポーツにも
興味があったんです。
それは
妹・るきも同様で
ボード以外にもスポーツをやっていました。
小さい頃からスノーボード以外にも器械体操や水泳など、姉妹がしたいと言ったことを父と母はやらせてくれた。今回の大けがに際しても両親から「危険だからやめなさいと言われたことはない」(せな)。
出典元:Standard新潟
器械体操や水泳もやっていたんですね。
また
ボードでせな選手が大怪我した際も
辞めさせることなく、続けさせてくれたのは
やはり競技に理解があるからでしょう。
子供たちのやりたいことを
やらせてあげる素敵なご両親でした。
③県外にたくさん送り迎えをしていた!
ご両親はより環境の整っている練習場で
練習させるために、
県外のゲレンデやトレーニング施設に
たくさん送り迎えもしておりました。
(前略)ハーフパイプなどの専門的な練習があった場合は高鷲スノーパーク(岐阜)、石打丸山(新潟・湯沢)X-JAM高井富士(長野)などで練習を行っていた。
出典元:PRTimes
新潟から岐阜や長野に
送り迎えをしていたのは相当大変ですよね。
現在は
自分で運転できるので
親の送り迎えはないのですが、
小さい頃から18歳くらいまで
仕事をしながら送り迎えをしていたと
考えるといかに大変かわかると思います。
その甲斐もあっていまでは
冨田せな選手は
世界トッププレイヤーの仲間入り。
次のオリンピックに期待ですね!!
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